橋本選手の英姿はファンの心に永遠に生き続ける

smallworldjp2005-07-11

突然の訃報であり、とても信じることができない。あまりにも早すぎる死であった。思い出されることと言えば、小川直也のSTOを立て続けに喰らい続けてきたことくらいだ。右肩の大手術を終え、順調な回復を週刊誌が報じた。手術後の生々しい傷痕が、痛々しいことこの上なかった。橋本真也の存在なくして、現代のプロレス界の発展はありえない。小川にプロレスの醍醐味を叩き込んだのも橋本であり、小川と最後まで死闘を演じたのもまた、橋本真也ただ一人であった。プロレス界最後の良心が、本日をもって卒去された。

蝶野「本人がエンジョイした人生だった」
亡くなった橋本さん、全日本の武藤敬司(42)とともに闘魂三銃士として激しく戦った新日本の蝶野正洋(41)は「本当に残念だね。ただ、本人がエンジョイできた人生であればよかったと思う」と突然に悲報に、言葉少なく語った。

橋本は最後まで戦った。敵は小川ではなく、新日本プロレスである。もしかしたら、橋本は脱退後の新日本プロレスが「アルティメット・クラッシュ」のような総合格闘技路線を歩んでいったことを予見していたのかも知れない。プロレスの会場に来ているお客さんたちは、プロレスが見たくてやって来ている。プロレスのリングで本格的な総合格闘技をやってしまうことは、プロレスファンに対する冒涜に近い。その辺りから、離れていったファンは少なくないに違いない。

小川は涙で「彼に会うまで信じない」

橋本さんのライバルであり親友でもある小川直也(37=フリー)は11日午後8時20分から都内のDSE事務所で会見した。突然の訃報(ふほう)に「あまりに突然で信じられない。この目で確かめるまでは信じたくない」と絞り出すように言った。「訃報を聞いて携帯に電話した。(呼び出し音が)鳴ったんだけど…」と続けると両目に涙があふれ「何が何だかさっぱりわからない」と現実を受け入れられない様子だった。

5月のハッスル札幌大会の時に電話で話したのが最後の会話になった。その後は留守番電話でやり取りがあり、橋本さんの復帰も考えていたという。記者の質問にも「信じたくない」と繰り返すばかり。「彼に会うまでは言葉が出ない」と橋本さんが待つ横浜市内の斎場に向かった。

去年、東京ドームに足を運んだ際、K−1の武蔵と柴田勝頼とが総合格闘技でぶつかる試合があった。試合前の会見で、お互いに戦意が高揚し、会場のボルテージは一気にヒートアップした。だが、柴田のあっけない敗戦によって会場は、まるでお通夜のような雰囲気になってしまったのだ。ガチンコの戦いには、興行のムードをぶち壊すリスク、ヤバさが、常に付き従うのだということを知らない人は多い。

それに、「アルティメット・クラッシュ」をやり始めてからの新日本は集客面でも、明らかに全盛期のそれよりも勢いを失っている。東京ドームでも会場を見渡しても、大袈裟に言えば、全盛期の半分程度である。プロレスファンが求めている試合はどんなものなのか、格闘技の真似っこではないこと、それはもはや自明であろう。

だからこそ、プロレスが一番面白いという結論に至るのである。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか・・・。(平敦盛「敦盛」)

織田信長が生前好んだ歌である。当時の平均寿命は三十年程度であったらしく、そこで軽く意味を要約すると、「(人間は五十年生きることも大変なのに)人の住む世界の五十年は、天上界では最下層の神にとっても一日分の時間でしかない。まさに一夜の夢ではないか。せっかくこの世に生まれたんだから、いつか訪れる“死”なんて恐れることなく、精一杯に生きようじゃないか。」ということになる。橋本選手は、この歌を好んで使っていた。

ゲーテの言う「戦う人間」であって、現代の信長の名に相応しい、戦うプロレスラーである。橋本は他のレスラーとは目が違っていた。切羽詰ったレスラーを、人は否応なしに応援したくなるものだ。

ハッスルから橋本ファンになった方とも、よく話をする。橋本個人がエンタメ路線を楽しんでいたかどうかは疑問で、議論の余地があるが、一番輝いていて、魅力的だったのは新日本の頃であったという意見が圧倒的に多い。大谷にも共通して言える、「チャンピオンは負けてはならない。」という信念のもと、爆勝ロードを突き進んだ。ところが、橋本の輝きを失わせてしまうような新日本になってしまい、居場所を失った橋本はZERO-ONEを旗揚げすることになる。

古舘キャスター「橋本さんは殉職」
急逝した橋本さんの現役時代に何度もテレビの実況をした古舘伊知郎キャスター(50)は、11日夜、テレビ朝日報道ステーション」の生中継で「本当にいい選手でした」と早すぎる死を悼んだ。

映像後に、古舘キャスターは「(現在のプロレスは)受け身を取りずらい技を連発するようになった。それに歓声を上げるファン。リング上は、それに応えるようにヒートアップする。彼は殉職だと思います」と厳しい表情で話した。

巨額の負債を抱え、苦悩していた橋本。橋本は小川にやられたのではなく、新日本にしてやられたのだ。それでも、最期に闘魂三銃士が一堂に会して、夢の競演をするところを見てみたかった。そればかりが本当に悔やまれる。もう二度と、垂直落下式DDTも延髄袈裟斬りも水面蹴りも、ぎこちない三角締めも見ることはできない・・・。

心より橋本選手のご冥福をお祈り申し上げます。

三田佐代子さんのブログ