大雨の終戦記念日 英霊たちの眠れる靖国の杜へ

smallworldjp2004-08-15

本日8月15日は終戦記念日である。この日はあいにくの天気であったが、靖国神社には多くの人々が参拝した。去年もこの日は雨であった。私は知人と大荒れの天気の中、靖国神社を訪れた。この雨は、今の日本が最悪の状況に陥ってしまっていることを嘆き悲しんだ、英霊たちの涙のようにも思える。

街宣車や警察の厳重警備の中、境内へと向かうと、どこからともなく君が代が聞こえてくる。多くの参拝者でごった返していたが、年配の人だけでなく、若い世代の人が特に多い。正午、国のため、自らの命をかなぐり捨て、散華されたすべての戦没者たちに黙祷をささげる。

彼らは我々日本人の誇りであり、その魂は永遠に不滅である。戦没者に敬意を払うことは、どこの国でも常識である。日本だけがそれをしない、できない。緊張感がなくなって、完全に平和ボケも甚だしい状況に直面している。自分たちが奮起せず、恒久の平和を手に入れることなど、ローマ帝国の時代からあり得なかった。そして、もちろん現代においても、そのような理論は通用しないだろう。その無茶苦茶な理論の皺寄せが、現代の気が狂ったような凶悪な事件だけを生み出している。

靖国神社隣にある遊就館には、当時の数々の遺品が展示されている。それらを目の当たりにすると、あらためて当事の大戦の激しさを物語っている。中でも海の特攻隊、人間魚雷「回天」の実物には目を見張るものがあった。一度操縦桿を握ったら、中からは鍵があけられないようになっている。なぜなら、二度と外に出ることはないからだ。そのまま、人間爆弾となって、海の藻屑と消えるだけである。人間爆弾「桜花」による特攻も、その戦法自体には確かに問題がある。だが、だからといってそれが「犬死に」だったとは思わない。敵艦隊に最期の珠玉の一撃を加えて、死ねたならば本望だと、そう願って逝ったのだと信じている。彼らの心情を想うと、気持ちの高揚を抑えることができない。その気持ちは怒りと悲しみの葛藤であった。学徒出陣において家族に最後に残していった膨大な手紙の数々があった。中でも一際目を引いたのは、「後のことは心配要りません。」といったくだりである。私という存在の一切を排除して、公のために体当りで戦い抜いた彼らを想うと、涙が自然と溢れてくる。

特攻は強制であったなどと言われることがあるが、その手紙の数々を読んでもなお、頑なにそのように信じて疑わない人は、そう多くはいないだろう。そういった人たちは、ただ本当のことを知ろうとしないだけで。義勇軍などではない。特攻という戦法自体には問題があったにせよ、彼らは私を捨て、公のために戦った。この日本という国のために。残された家族と、そして国民のために。もうみんな気づいてもいいころだ。アメリカでは国旗をモチーフにしたデザインが許されて、なぜ日本でそれが許されないのか。この国は何かがおかしい。

ただ、無機質に因果関係などなく自虐史観に浸っているならいざ知らず、公のため勇敢にも戦った彼らの死を、無駄死になどとは絶対に言わせない。そして、世論は英霊たちを戦犯と呼ぶが、マッカーサーの証言によれば、大東亜戦争が極めて防衛的な戦争であったことも認めている。

昭和26年5月3日、アメリカ合衆国議会上院 
軍事外交合同委員会におけるマッカーサー証言


「その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。

 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。

靖国の杜に眠る彼らが、今の日本を見て何と思うだろうか。彼らを目の前にしても胸を張っていられる、果たしてそんな国家になることができたのだろうか。