普遍的な民主主義を世界中に広めようとしている米国

smallworldjp2004-07-08

「なんと表現していいやら。アンビバレンスというか、なんというか・・・。」尊敬すべき、ある人は私にこう言った。確かに今の時代、戦場のイラクでは何千人もの単位で人間が犬死にし、一方日本国内では見ているだけで身体中が痒くなってくるような、偽善に固められた似非平和ドラマで涙しながらに平和を叫ぶ。つい先日も、主権移譲後のイラクファルージャで米軍による空爆があったばかりだ。この両面価値、つまり同一対象に対する愛憎並存が混在していると言っていいだろう。この国は一体どうなってるんだろう。なんとなく、何かがおかしい。そんな事には子供のころから気づいていた。今の日本は1945年から1952年にかけて、アメリカが作った国。明治憲法とか国家元首としての天皇とか、今はもういない。そして、気だるい平和が続いて、時は平成になった。全ての名前が一緒のままで宙ぶらりんで、さらには米軍基地が四方を固め、在日朝鮮人が至る所に住み着いた、そんな奇妙な国が完成した。常時監視されている状況に置かれ、不安定なこの国には新興宗教が現れた。なんでも目的は、人々を救済することなのだという。人々はこのアンビバレンスな価値観からの救済を求めた。人々は、このとき初めてGHQの支配から解放された気になった。そして、日本という国はアメリカの51番目の州になると同時に、世界第二位の経済大国になった。

アメリカの侵略戦争は終わらない。「人のものを奪ってはいけません。人を殺してはいけません。」私たちは学校でそう教わった。でも、もし教えられてきたそのこと自体がが、全てデタラメの出任せだったとしたらどう思うだろう。ブッシュ大統領は自信たっぷりの表情でこう言った。「アメリカの大義の勝利だ」と。どうやら、ブッシュ氏にとっては大量破壊兵器(WMD)が見つからないことなど、たいした問題ではないらしい。いつのまにか、戦機はフセインの暴走の危険性からイラク民主化に変わっていた。普遍的な民主主義を世界中に広めようと、アメリカはそれこそ躍起になっている。

太平洋戦争末期のアメリカにとっての日本など、まるで使い勝手の良い捨て犬のようなものであった。犬は番犬として飼いならされるのではなく、室内犬として可愛がられることになった。ご主人様はその犬を守ってあげるかわりに、乱暴なことはしないように、防衛手段など考えないようにしろと命令された。つまり、すべての戦争の放棄を約束させられたのだ。私たちは、いつの間にか戦後民主主義の病魔に侵され、アメリカに平定されたことすら忘れてしまっている。しかし、現実は夢物語で終わった。日本国憲法誕生から僅か3年後、現行の自衛隊の前身である警察予備隊が誕生することと相成る。日本国憲法はすばらしいものだと、やたら賞賛し、それを謳い文句に平和を訴えるプロ市民活動家たちが多数存在する。だが、元はと言えばアメリカに作らされた憲法なのだ。それなのに、連中は「いつまで続ける。アメリカの言いなり。」と対米追随を拒否する。まさに、飼い犬が主人から独立する瞬間を見ているようだ。

三重県伊勢神宮には、今でも朝夕大御饌祭というものが残っている。天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめ、豊受大御神(とよけのおおかみ)、各相殿神(あいどのかみ)、各別宮の神々に大御饌をたてまつる。火をおこすところから始まるこの儀式は、朝夕365日続けられるのだ。世界中で紛争や飢餓が絶えず、イラクの主権移譲後も自爆テロが相次ぐなかで、日々安心して食事ができるということが、どれほど有難き事なのかを考えるのだ。それこそが、祭にも匹敵するほどのことだと賞賛している。公の感覚、無私の感覚が現在の皇室にも残っている。「民主主義がいい、合理主義がいい」と言い、どんどんおごり高ぶっていってしまうことへの歯止めとして、公の感覚すなわち日本の皇室があるのである。本来、日本人は何に感謝し、何に畏怖し生きていくのかを、我々はもう一度、原点に立ち返って考え直さなくてはならない。「アメリカについて行けば間違いない。」と高らかに主張する連中に、文化や伝統のことまでをとやかく言う資格などないのである。

ヤマト国家成立の秘密―日本誕生と天照大神の謎

ヤマト国家成立の秘密―日本誕生と天照大神の謎