少数言語の存在意義

久々に日本語で書く日記である。デンマークという国について調べていたら、人口が500万人程度しかいないことが分かった。そして、公用語デンマーク語。それでもなお、その国の言語は存在意義があるのである。伝統や文化は合理主義では割り切れない部分がある。Majorityの言語を勉強しておけば、人生にとってためになる。そう割り切って学習するのは自由だ。しかし、Minorityの言語を否定することは許されないのである。

遠く離れた国に住む人から「ありがとう」。そう言われただけで、たとえそれがチャットの会話であったとしても、言葉に出来ない感動がある。それは、言葉が通じた喜びであり、僅かながら貢献できた喜びである。宇多田ヒカルの歌詞に昔あったが、モニターに触れるだけで暖かく感じる(I feel so warm)とはまさにこのことだろうか。