杉並区の「つくる会」教科書採択問題を乙武さんが斬る

五体不満足」で知られる乙武洋匡さんのブログで、教育問題として以下のような意見が記されていた。

僕が3週間の学生生活を送っている間に、教育界では大きな動きがありました。
8月12日、東京都杉並区教育委員会は、来年度から区立中学校で使用する歴史教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した扶桑社の教科書の採択を決めたのです。
この採択には反対する声も大きく、抗議行動を起こす人々の姿をテレビでご覧になった方も多いのではないでしょうか。採択反対の署名は、すでに3万人を超えたといいます。

一部の新聞では明らかにされたことであるが、教育委員会の採択に反対するため集まった反対派の多くが過激派組織「中核派」であり、一般市民を装ったプロ市民であったということも忘れてはならない。暴行の容疑で警視庁に逮捕された北島邦彦容疑者(45)は、「都政を革新する会」事務局長で中核派活動家であった。この男は採択をめぐる反対活動をビデオ撮影していた男性に暴行を加えた。つまり、反対派の人間がどんなバックボーンを有する層の人間なのか、そしてどんな国籍を持つのか、ということも慎重に考察していかねばならない。

つくる会」設立の端緒となったのは、1996年6月、中学校教科書検定でした。全7社の歴史教科書において、「従軍慰安婦」の記述が登場したのです。これに対し、真っ向から批判を加えたのが、初代会長となる西尾幹二氏や、同じく副会長となる藤岡信勝氏らでした。
「『従軍慰安婦』という言葉は戦前には存在しておらず、日本が国策として慰安婦を強制連行したと証明する公文章も一切発見されていない。また、当時、慰安婦は世界中の軍隊に存在したもので、日本軍の慰安婦のみ記述するのは偏りがある」

何度でも強調せねばならない。従軍慰安婦に関わった誤った情報を流布し、何度も紙面で捏造記事を発表、そして教科書改訂まで追い込んだ張本人こそは、言わずもがな、かの朝日新聞である。google検索にて「朝日 従軍慰安婦」と打ち込みさえすれば、今までの黒い歴史を紐解くことができ、もはや朝日と捏造の歴史は自明であり、したがってここでは情報ソースは敢えて割愛させていただきたい。事実を捏造するだけにとどまらず、責任を関係のない人々に押し付けて金儲けをした。そんな外道には天罰が下るに違いない。
さて、問題の教科書の中身であるが、乙武氏はいくつかのトピックスを参考に解説している。

南京大虐殺
扶桑社以外の教科書では、非戦闘員の組織的虐殺があったという前提で書かれているが、この事件については現在でも学会で論争中であり、義務教育において使用する教科書に記述すべき内容でない。
○広島への原爆投下
扶桑社以外の教科書では、広島に原爆を落とされたのは「軍都」であったからと結論づけており、「そのような過ちを繰り返さないことが大切」など、原因のすべてが日本にあるように記述している点には問題がある。
○歴史上の英雄
扶桑社以外の教科書では、日本の近代化を進めた初代内閣総理大臣伊藤博文が韓国侵略の張本人で、暗殺されてしかるべき人物のように描かれ、天下を統一した豊臣秀吉朝鮮半島を侵略した大悪人として描かれている。
○「支配者」と「民衆」
扶桑社以外の教科書では、支配者と被支配者が対立するという一面的な記述に終始している。一揆・反乱・打ちこわしなどの指導者が「善」で、朝廷・幕府・行政・国家などが「悪」のように描かれているが、歴史をそのように単純な二元論で語ることはできない。

非常に端的に、分かり易く解説している。近・現代史については、中学校ではあまり時間を割かないと言われている。カリキュラムの問題もあってか、それとも教材自体の不甲斐なさを考慮してのことか、いずれにしても重点的に今までの教科書で近・現代史を学習されるよりは、悪い選択ではなかったと考える。
そして、「支配者」と「民衆」については、自分自身がこれに共感するものである。士農工商を基礎とし、さらには幕府は階級の低い「えた・ひにん」と呼ばれる人々を置いたと学習した。そして、その理由は商人の士気を保つためであるという理由であった。この学習方法だと、間違いなく「朝廷と幕府は極めて悪い」というイメージを持つことになる。そして、日本の歴史自体が暗く、繁栄も富も賑わいも全て相殺されてしまうことになる。これは自分自身がそう感じたことである。

「従来の歴史教科書は、必要以上に日本を貶める“自虐史観”に基づいており、それでは子供たちが自分の国に誇りを持つことができない」
「最近の青少年に見られる『自信がない』『消極的』『悲観的』『無気力』『無関心』『無感動』といった傾向も、こうした自虐史観に基づく教科書と無関係ではないのではないか」
そこで、「つくる会」は、日本の子供たちが<この国に誇りを持てるような>歴史教科書づくりを目指したのです。
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/08/post_214d.html

未だにマスコミが物事をいかに客観的に見、判断することができない今、それを出来る人間が一人でも多くなって欲しいと願いばかりである。乙武氏が、薬害エイズ問題で話題になった川田龍平氏のように、市民団体に「利用」されなかったことに非常に感銘を受け、賞賛に値することだと思う。また、本人が必ずしも自らを「弱者」と考えない立脚点を持ち続けることが、それらの誘惑を跳ね返すエネルギーなのだと考える。最近はまったく見ないが、某局の24時間テレビのスタンスは、明らかに間違っていると考える。障害者を全面に配置した構成は、明らかに「障害者を特別扱い」することを助長している。障害者本人が望まない「特別扱い」だって多分にあるに違いない。本当に理解しあうことができるなら、相手の弱点を弱点として認めてあげられる事であろう。