こじ付けと過剰なレッテル貼りで恐怖を煽る言論人

smallworldjp2005-01-07

本当に長かった。奈良で小学校一年生の女児が突然誘拐され、殺されるという卑劣極まりない事件から一ヶ月以上経過した12月30日、とうとう犯人は逮捕された。犯行は実に残虐で、水に沈めて殺害し、遺体には死亡後につけられたとみられる切り傷があり、さらに歯を抜かれていた。まさに鬼畜の所業としか言いようがない。さらに「次は妹を狙う」とメールを送りつけ、犯行を繰り返そうとしていた。本人は自分が逮捕されるとは思っていなかったという。反省もない愉快犯であり、出るのは溜息ばかりである。事件は長期化するにつれ、もうだめなのか、と諦めの声すら聞こえてくるほどであった。今回の事件は、犯人の特定に関して様々な憶測が飛び交った。宮崎勤事件においても活躍したロバート・レスラー氏のプロファイリングは決して外れていないと言えるだろう。「モラル感がない」と分析した結果は小林容疑者の勤務態度が悪いが故、解雇されていたこと、飲み屋のつけを払わなかったことなどと解釈できよう。また、「バイオレンスな漫画を好む」とは、逮捕後に自宅から多くの加虐的なポルノコミックが見つかったこと、「40代よりは下」と分析した結果も実際は36歳であり、見事なプロファイリングである。事件が年内には解決して欲しいと、多くの人が願っていた。「奈良県警の皆様、本当にご苦労様でした。」そして、このような卑劣な事件が起きてしまったことを悔やみ、二度と起きて欲しくないと願うばかりだ。そのためには、今後どういった対策が必要なのか、そしてどのような社会問題がこのような事件の引き金になっているのかを議論する必要がある。

ジャーナリストの大谷昭宏氏は少女フィギュアを愛するマニアの犯行だと分析した。生きた少女を性愛対象とする、いわゆるロリコンとは別物だと指摘した。しかし、犯人が逮捕されてから、フィギュアが発見された事実は確認できていない。その後も彼は報道番組にも出演し、溺死という殺害方法から、「フィギュア的な扱いをした。」と尚も主張する。そして、このような犯罪を未然に防ぐためには、そういったジャンルの漫画やアニメなどを規制していくべきだと続ける。つまり、そういった趣味、嗜好を持つ人々は危険であるとレッテル貼りをし通したのである。あえて大谷氏のコラムを批判したい。犯人逮捕後、明らかになったことがいくつかある。10歳のころに母親を亡くしたり、いじめにあっていた事実、孤独な少年時代の歪んだ愛情などが浮き彫りになってきた。犯人の複雑な家庭事情や、精神状態を考慮しないで一方的に「その類の嗜好は悪」と決め付けるのは、あまりにも短絡的すぎはしないだろうか。もし、彼がそれとはほとんど関係ない事情で、このような犯行を犯すまでになってしまったとしたら、今回の事件に関してのその議論はまったく無駄になってしまうではないか。それこそ、「木を見て森を見ず」である。それから大谷氏はコラムの中で、「欧米であのような劇画や動画を流したとしたら、厳しい懲役が待っている。」としているが、欧米と日本を一緒にするのはお門違いである。バイオレンスな表現に対する規制が厳しいアメリカこそが、暴力が溢れる銃社会である。日本は世界の中でバイオレスな表現を黙認していることで有名だが、それでも暴力事件の数では欧米とは比較にならない。一方的なイメージの押し付けで、善悪二元論で片付けてしまうのは都合がよく簡単で、視聴者も納得するのは早いかもしれない。この事件を振り返ると、初期の段階ではテレビも雑誌も新聞もが、やたらとインターネットの掲示板やオタクの趣味、嗜好を非難していた。まるで、犯人はそれしか考えられないと決め付けるかのようにである。メディアに緘口令が敷かれ、路線を統一しているかのようで、本当に不自然であった。ジャーナリストこそが事物を最も客観視しなくてはならないのに、この過剰なレッテル貼りに躍起になって、一体何の意味があると言うのだろうか。

ミーガン法とは米国で1996年に連邦法に昇格した法律である。性犯罪者には、名前や住所を公開する義務がある。ウェブサイトでどこに性犯罪者が住んでいるかをチェックできる仕組みだ。日本でこれを適用すべきかの議論は、これからも続いていくであろう。以前、大学生による集団強姦事件(スーパーフリー事件)が明らかになった際、被害者を始めとして、一般の人々からも、加害者に対してミーガン法を適用して欲しいとの声が上がった。一部では、去勢法を制定するべきだ、との意見もあった。性犯罪者は懲役が終わっても、また新たに性犯罪に手を染める可能性が高いと言われている。専門家の分析では、小林容疑者も刑務所内ではむしろ、模範囚になるのだという。それは早く社会へ出て、欲求を満たしたいからなのだという。そして、再び社会へ出て同じような犯行に至ってしまうという見方もある。あるアメリカ在住の子供の母親は、インタビューで「加害者にも人権があるのでは?」との問いに対し、「たしかにそうだけれど、子供の人権のほうが重要だ。」と答えた。たしかに、現状はその通りなのかもしれない。罪を償ったとしても、再犯の可能性がある以上、やはり親たちは子供が心配で仕方ないであろう。罪のない子供たちを、性犯罪者の魔の手から守るための苦肉の策だったのである。日本でも異常な犯罪が多くなってきた。自分勝手で利己主義の人間が、よりいっそう増えてきた。それはモラルハザードの一環でもあり、目的意識を失った気だるい平和ボケとも感じる。日本全体がモラルハザードに陥ったら、このような事件が多発するに違いない。公を忘れてしまったら、命の軽視にもつながる。小林容疑者は取調べに対し、「悪いことをしたとは思っていない。」と供述している。自分のことだけしか考えてこなかった中年男性の悲しい末路であった。

ドリーム・キャンパス―スーパーフリーの「帝国」

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